兄が中古車販売店で働いています。こちらに帰ってきて、就職をするお祝いに古いスズキ・ジムニーを降ろしてくれたのが、ちょうど一年前の今日、3月18日のこと。学生の頃、かたくなに「乗ったら死ぬと思う。運転は絶対にしない」と言っていたのが嘘のように、いまではどこへ行くにも車・くるま・クルマです。
本音をいうと、ほんとうはもうすこし、ゆっくり歩く暮らしを取り戻したくもあるのです。それでも、自動車のおかげで自分の生まれ育った県をもっと好きになることができたのは確かでした。この一年、仕事で、プライベートで、つらいときにどうしたか ― 海を見に行きました。日本海は太平洋と違い対岸のある、限りのある海ですが、ちっぽけな自分にとっては充分に広い。そして能登半島のほうへ向かえば、天気のいい日には海の向こうに白い立山連峰が浮かび上がっていたりするのです。また、市街地から遠く離れた半島を北へ分け入り、ひとっ気のない海岸沿いの適当なところで車を停め、ひたすら波の音に耳をすましていると、こころの中の雑音が徐々に小さくなっていくのが分かりました。
先日は、亀岡からやってきた友人たちに付き合って氷見の民宿に泊まったところ、漁港の向こうからやって来る朝日を拝むことができました。以前、気仙沼の朝焼けのことをこのブログに書いたことがありますが、日本海側にも太陽が昇る海があったんですね。あまりに嬉しくて浴衣ひとつ、草履をつっかけて雪の埠頭へ飛び出して行って、笑われました。twitterのアイコン、あの自殺志願の肺病持ちの書生崩れみたいな写真はそのときのものです。
いまから十年前のぼくが、つらいときに頼っていたのは川でした。鴨川です。二十世紀の終わり、京都へやってきて以来、お金がなくてスタジオに入れずギターの練習をした春の夜も、覚えたばかりの酒よりも花火のほうが何倍も楽しかった夏の朝も、思うようにいかない誰にも認めてもらえない(と思い込んでいた)気持ちを水に流した十月の独りぼっちの誕生日も、金色に枯れた芝生に寝転んで凍えながら詩を書いたばかげた冬の午後も、あのまっすぐ下ってゆく、小ざっぱりした、歴史の鏡のような川でした。現在こちらでの暮らしについて、さして不満はありはしないものの、しいていうなら鴨川が欲しいかなあ(金沢の犀川はどこか鴨川に似ています。ちょっと嫉妬します)。
そんな鴨川沿いの砂利道、川端丸太町から少し上がったあたりで撮影した写真がジャケットになっている、ゆーきゃんのファーストアルバム『ひかり』が、今日アナログで再発となりました。2004年オリジナル盤のリリース当時、まだCDが数千枚単位でばんばん売れていた時代にイニシャル数が300にも満たなかった作品が、ダウンロードコードも付けない不親切パッケージで100枚を越すオーダーをいただいているとのこと。ありがたいことです。
ジャケットをデザインしてくれたのはIPPIという人です。松谷一飛。BOREDOMSや井上薫さんのアルバムも手掛けるこのビジュアル・アーティストは当時はまだ京都に住んでいました。主にクラブイベントのフライヤーデザインなどをしていたIPPIくん、ひょんなきっかけで、そして何故か、ゆーきゃんを気に入ってくれて、ゆーきゃんの何かデザインしたいな、と言ってくれました。嬉しさあまって「いまアルバム作ってるんだ、ぜひそいつを!」と言ってしまったものの、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、彼の作風は、ビビッドで、コズミックな世界を持つものです。どうなるんだろう、こんな地味で荒涼とした音楽と果たして合うのだろうか、気がかりでした。
その不安を知ってか知らずか、IPPIくんがまず掛けてくれた言葉は「鴨川、一緒に散歩せえへん?」。そして、あのジャケットの写真が撮られたというわけです。
撮影場所は、ぼくが上京したての頃に歌の練習をしていた段差の前。置かれている草履は、当時ぼくが好んで履いていたもの。揃えていないのは、そのとき二人で交わした − 自殺する人は靴をそろえる。それはきっと<行き詰まった>というメッセージなのだと思う。もし、そろえてしまった靴を半歩でもずらせたら、希望が湧いてきたかもしれないのだ − という会話にもとづいています。
内容については
、もうぼくには判断することができませんので各所のレビューを参考にしてください。ただ、おまえあんな風に言ってたやんけ!と突っ込まれないように、40日も前にtwitterで呟いた140文字を、もう一回ペーストして、今日の日記(ひさしぶりすぎてもう日記とは呼べませんね)の締めとしますね。
「拙くて、儚くて、痛くて、ローファイ。ファーストアルバムは二度ないものですが、まさしくあの『ひかり』は2000年代はじめの、迷いに満ちていたゆーきゃんにしか作り得なかった一枚だと思います。ぼくはもう恥ずかしくてよう聴かんので、みなさん代わりに針を落としてください。」